AI活用による囲碁界・将棋界の活性化
2022年3月15日
IEEJプロフェッショナル
伊藤 二朗
1. AIと囲碁(一力遼棋士講演1)と新聞記事2)3)より)
AIと棋士との強さの関係は3つの時代があり、棋士がAIより強い時代(2016年まで)、AIと棋士と同等か強い時代(2016~2017年)を経て現在はAIが棋士より強い時代である。
AIは着手選択時、着手候補を終局までシミュレートし、勝率が最も高い手を選択する。一局に要するシミュレートの合計数は何億、何兆を超えるような膨大な数になる。
プロの棋士のAIの活用法は、対局後の評価、布石の研究、AIとの対戦、グループでの研究、AI同士の対戦鑑賞などがある。以前は集団研究が中心だったが、集団研究の価値が減少し、自分一人でAI研究することが多くなっている。年間最多勝記録した女性の上野愛咲美棋士(20歳)は「AIを取り入れたおかげで、議論に入りやすくなった。トップ棋士の感覚を聞けるのはプラスになる。」2)といっている。関航太郎棋士(20歳)は、AI同士の対局鑑賞に没頭して、「天元」のタイトルを取った3)。金澤秀男棋士(44歳)はAIとの千局以上の対戦行い、中庸戦で優勝した4)。
AIと人間との一番の違いは、AIの特徴は判断力があり、大局観があり、数字で判断できる。短所は劫のような複雑な展開になると気が付かないことがある。
2.AIと将棋5)6)
AIの評価値が必ず正解なわけではない。自分でも局面を考えて見るという作業は常に必要である。藤井五冠はこういっている「実力をつける段階だと思っている。どこが頂上だか、頂上が全く見えない。AIを活用して自分を高めていくことが大事であると思っている。AIを使う時、気を付けていることは、評価値を見て終わりでなく、自分なりの考えを持つことである。すぐにはわからないことの方が多いので、その理由を考えるようにしている。」
3.AIの特徴と未来の生き方7)
AIは単なる統計手法に過ぎない。単に答えがマッチするかどうかを探っているだけである。人間は新しい問題や難解な問題が生じると答えが揺らぐ。人間には感情や意識があり、思考力は無限の可能性がある。
未来の生き方は、経常的なことは機械がやってくれる。人間がすべきことは、アイディアを考えることである。新しい情報を取り入れたり、組み合わせたり、深く考えたりする。社会的評価よりも人生を充実させることが大事である。
4.新聞記事より8)
AIには人間の知識や理論を超えた発見の可能性がある。ただし、AIに依存すれば、知的作業の放棄につながり、考える作業をやめさせかねない。
AIは人間の知識や理論を超えた発見をもたらす。今は存在しない薬や抗体を作り出せる可能性がある。
5.個人的意見
囲碁界では、最近、若手や女子の台頭が目立つが、自分一人でも、AIで学べることが大きいと思う。今後もタイトル保持者は分散する可能性がある。
囲碁以外でもAIに任せる人とAIを幅広く活用して考える人では、差が出て、幅広く活用する人が成長するものと思う。新聞記事の事例8)に将来は経営判断まで任せたいという表現があったが、このような重要なことの最後の判断は人間がすべきだし、判断を間違う可能性があると思う。
現在、地球温暖化やエネルギー問題などいろいろな社会現象について、個々に論じられるが、全体を見る判断能力の優れたAIのように、多角的に考えていく必要がある。特に最近の紛争発生を見れば、難しい判断要素が増えている。
[文献]
1) 一力遼「AIが囲碁界に与えたインパクト」技術と経済、2021年10月号
2) 「囲碁で女性棋士の活躍が相次ぐ(AIや世界戦が刺激に)」日本経済新聞、2022年2月1日、夕刊、12面
3) 「プロ入り最短でメジャータイトルを勝ち取った囲碁棋士(関航太郎)」2021年12月9日、朝日新聞朝刊、ひと、2面
4) 金澤秀男「私が考えるAIの碁」囲碁研究、2022年1月号
5) 丹羽宇一郎、藤井聡太「考えて、考えて、考える」講談社、2021年8月25日
6)「将棋の頂上全くみえず(藤井五冠、さらなる探求)」日本経済新聞、2022年2月14日、夕刊
7) 小川仁志「AIに勝てるのは哲学だけだ」祥伝社、2019年1月10日
8)「人知を超えるAI「天使」か「悪魔」か」日本経済新聞、2022年2月7日朝刊、1面
以上
日本の電信と電力の夜明け
2021年4月13日
IEEJプロフェッショナル
大島正明
1. はじめに
ここでは電信と電力が明治時代いかに日本に導入されたいきさつを述べている。電気技術については江戸時代にも関心を持たれていたが,日本人が本格的に取り組むようになったのは明治になってからである。
2.電信の歴史
2.1 世界における電信の歴史
(1) ドーバー海峡を横断する海底電信線は英国によって1851年に開業した。大西洋横断の国際電信線の完成は,1866年である。ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)はこのとき,ビクトリア女王からナイトの称号を受けている。
(2) ケルビン卿は1870年,無人で電信信号を記録できるサイホンレコーダを開発した。
(3) リレーの接点増幅とケーブル空き芯及びサイホンレコーダを使えば,原理的にはリモートで信号を盗聴することが可能となる。英国が覇権主義を標榜していた(大英帝国)ことから考えると,接点増幅及びサイホンレコーダによって,英国は各国の電信をリモート盗聴していた考えるのが自然である。
2.2 日本における電信の歴史
(1) ペリーが2度目に来航したとき,横浜で電信技術の実演が行われた(嘉永7年2月24日,西暦では1854年)。ここで使われた電信機は,将軍家定に献上されている。
(2) 大北電信会社は,明治4年(1871年)に長崎とウラジオストック,長崎と上海との間を海底電信線で結び,長崎市小ケ倉町千本でケーブルを陸揚げした。ケーブル陸揚庫は現在,長崎県の指定史跡として現地付近に保存されている。大北電信会社は,長崎支局を市内外国人居留地内にあるベル・ビューホテルに置いた。このとき,長崎-東京間の国内電信線は未設なので,明治4年11月(1871年12月)に出発した岩倉使節団が新政府に発信した電報は,大北電信の技師が解読・文章化して東京まで飛脚が運んだものと考えられる。
(3) 工部大学校電信科のお雇い教授,ウィリアム・エドワード・エアトンは,ケルビン卿の弟子であり,日本に来る前にはインドで電信線の建設工事に従事していた。
(4) 1878年3月25日に開業した電信中央局の跡地には現在,電源開発本店建屋がある。3月25日が電気記念日となっているのは,電信中央局開業祝賀会の会場でエアトンの指導によってアーク灯が日本で初めて点灯したことが由来である。
3.電力の歴史
3.1 世界における電力の歴史
トーマス・アルバ・エジソンは1879年,実用的な白熱電球の製法を発明し,1882年にはニューヨークで商用発電所の運転を開始し,照明用に電気を販売した。
3.2 日本における電力の歴史
(1) 東京電灯は明治20年(1887年)11月29日,茅場町地区で電気の販売を開始した。エジソン社製直流発電機を使用した。
(2) 大阪電灯は明治22年(1889年)5月20日,西道頓堀地区で電気の販売を開始した。トムソン・ハウストン社製交流発電機(125 Hz)を使用した。大阪電灯は,最初から交流で販売した。
(3) 日本に大規模50 Hz系統と大規模60 Hz系統とが並存するのは,帝都東京と商都大阪との間の競争意識,対抗意識が基本原因ではないかと考えられる。
4.まとめ
明治時代の日本においては, 電信技術と電力技術とが, 欧米の技術者(お雇い外国人)の指導を受けながら, 日本の近代化に貢献した。しかし,欧米人の貢献には,リモート盗聴などの隠された意図もあると考えられる。
以 上
発足から10年 | 電気理科クラブは | いま |
2021年1月12日
IEEJプロフェッショナル
谷口 元
1.要旨
電気理科クラブは2021年1月に発足10年を迎えた。今までにIEEJプロフェッショナルを活動母体として、メンバーの協力のもと一定の成果を挙げてきた。10年の活動を振り返り、理科支援環境が大きく変化するなか、更に評価される活動の継続・進展には、熱意あるメンバーの参加など活動基盤の再整備が必要である。
2.クラブ発足と当時の活動
電気理科クラブは、2011年1月に発足した。2005年にIEEJプロフェッショナル制度がスタートして、プロフェッショナルによる5年間の武蔵村山市立中学校への理科教育支援活動、理科教育支援WGによる理科実験事例集の発行などが行われた。これらの活動への参加メンバーがその後も実験機材や情報を共有し、活動の推進を図るためにIEEJプロフェッショナルを活動母体とする電気理科クラブを発足させた。
スタート当初は、手探りでホームページの開設、「大学発教育支援コンソーシアム・シンポジウム」での実験機材の展示、「サイエンスアゴラ」への出展、諸講演会での講演、電気学会全国大会での講演などで広報活動を進めた。
3.活動の充実・拡大
(1)クラブロゴ、マスコットキャラクターの制定
メンバーの協力によるクラブロゴ、外部からの協力によるキャラクター「伝リュウ君」の制定を行った。
(2)文部科学省「土曜学習応援団」への参加
毎年「子ども霞が関見学デー」での出前授業やパネル出展のほか土曜学習応 援団のホームページ「電気理科クラブ教育プログラム」による、地域コーデ ィネータからの活動依頼を受けての活動など。
(3)無線従事者養成課程講習会の開催
2014年から第三級・第四級・第三級(移行)無線従事者養成課程講習会を継 続実施。本講習の目的は、青少年を主対象に理科・工学教育の一環として、国家資格の取得、無線技術・知識を習得する場を提供することにある。
(4)人との繋がりによる活動の拡大
人との繋がりにより活動が拡大・充実された。小平市「ジュニア講座」、「サイエンスアゴラ」では、2013年「来場者特別賞」を受賞、東京タワーキ ッズ・環境科学博士、沖縄市、那須塩原市、多摩市、会津若松市での活動、新宿地区での小学数校への支援、川口・春日部工業高校での理科支援、江戸 川区・荒川区・武蔵野市での「環境フェスタ」。「エコ環境エネルギー・ラボin せたがや」でのオンライン講座など多くの活動が、人との繋がりにより活動の拡大が図られた。
(5)諸団体との連携活動
電気学会東京支部への協力として「サイエンススクエア」での工作機材の支援、社会連携委員会への参加によるWG活動など。また日本技術者士会 「わくわく理科教育の会」・「ラズベリーパイ研究会」に参加してCoREF(東京大学高大接続開発研究センター)主催のジュニアドクター育成塾への参加・協力活動を実施している。
(6)電気学会教育支援資金の活用
2014年度より本資金を申請、採択されて実験機材の開発・整備・充実を行 い、多くの活動で活用している。
4.諸課題への対応
理科教育支援活動の環境がICTの導入、STEM教育、協調学習、情報関連教育の充実、プログラミング教育など大きく変化する中で、山積する諸課 題に対応するため、2020年5月に活動推進ワーキンググループ(WG)を発足させて対応作業を始めた。課題対応ロードマップを作成し対応作業として支援員の登録制度の整備、情報発信の活性化として、News Letterの発行、ホームページの充実など作業を開始しているものの多くの課題が残されている。
5.今後への課題
(1)今後の活動維持、更に評価される活動にするためには、人、物、金、体制 など活動基盤の整備が欠かせない。この中で最重要課題は、高齢化している 現活動メンバーに熱意のある人材の参加が不可欠である。次の発展へのチャレンジ、参加者へのメリット作り、情報の共有推進などの活性化が必要である。
(2)特色ある工作・実験機材の開発整備、機材類の保管場所の確保
(3)活動資金の継続確保
(4)活動形態として「グループ活動」か「NPO法人化」の検討、他団体との連携活動の推進などの検討が必要である。 発足10年を経過して、今後の活動進展に向けて熱意あるメンバーの参加にIEEJプロのご支援をお願いしたい。
以上
ドラッカーの師、 | 渋沢栄一 |
2020年10月13日
IEEJプロフェッショナル
伊藤 二朗
1. ドラッカー(1)
1909年オーストリア=ハンガリー帝国のウイーンに生まれ、1937年アメリカに渡った。ドラッカーの目にはナチスによるヨーロッパ支配とともにそれに続くヨーロッパの廃墟が見えた。その廃墟から立ち上がるための方法論を探して、明治維新を発見したのがドラッカーだった。明治維新後の日本は、自らを西洋化することなく、西洋を日本化した。物見の役を自認するドラッカーにとって、源氏物語、白隠禅師、明治維新、渋沢栄一が師だった。
マネジメントの本籍は経営にはない、文明社会にある。マネジメントには三つの役割がある。自らの組織に特有の役割を果たす。仕事を通じて働く人たちを生かす。社会へのインパクトを最小化する(企業の社会貢献とか社会への責任)。利益、収益、コストカット、リストラなど金にまつわることはいっていない。
知識社会とは本質的に多元社会である。企業に勤めながらも副業やNPOなど社会活動は時間を作って積極的にした方がいい。個の知識は企業の占有物ではない。高度な能力ほど、むしろ社外で生かした方が本業のためになる。企業が個人に提供できる経験などたかが知れている。企業が個人より健康に長生きする保証はない。人間の方が企業よりも長生きし、しっかり自立している方が、企業にとってはるかにありがたい。
2. 渋沢栄一(2)
1840年現在の深谷市に生まれ、1845年から数年、商人の父と従兄弟尾高惇忠から、四書、五経などを学ぶ。1863年、高崎城乗っ取り計画を中止し、1864年一橋慶喜に仕官する。1867年、パリ万博に徳川慶喜の弟、徳川昭武が派遣され、渋沢栄一も付随する会計と書記として派遣された。会計事務の運用(株や公債を売買)などで、経済の原理を知る。この知識をもとに、日本に近代的資本主義を根付かせた。
1868年大政奉還後に静岡にいる慶喜と再会。1869年静岡藩に日本最初の商法会所(株式会社)を設立した。1869年12月大蔵省への辞令を受ける。大蔵省での仕事は貨幣制度、租税の改正、公債の方法、合本法(少額を多くの人から集める資本)の制定などである。
1873年に渋沢が大蔵省を辞めて、500余りの株式会社(インフラにかかわる企業、外国製品に替わる国産製品を生み出すための企業、製品等が円滑に流通するためのサービス企業)の設立にかかわり、日本資本主義の産婆役となった。
渋沢に課せられた最大の使命は商工業に携わる実業人が官吏と平等に扱われる社会を生み出すことだと考えていた。そのため、私が利潤追求をすることを卑しいものとした江戸時代の風潮を払拭しなければならない。公正な利潤の追求は、いささかでもこれを責めるべきではない。従って、私が公正に儲けることのできるような資本主義システムを社会のすべての階層において構築しなければならない。これが、渋沢のおのれの義務と考えたことであり、実際に成し遂げたことである。
東京商工会議所、日本工業倶楽部など社交のための組織づくりに情熱を注いだ人も珍しい。1874年~1931年まで、さまざまな社会福祉事業にも関わっていた。1902年欧米視察、1909年、1915年、1921年、民間外交で訪米している。
著書「論語と算盤」は義利合一(富みながら仁義を行う)という、渋沢が一生の信条とした思想が語られている。利潤追求する企業人においても道徳(義)と経済(利)は矛盾しないどころか、むしろ両者のバランス感覚こそが孔子が論語で説く儒教思想の核心であると繰り返し力説している。論語と算盤という理念は、儒教で育った明治人に共通するものでは決してない。むしろ、渋沢以外の人間には思いつかなかった特殊な経済思想なのかもしれない。
徳川300年の教育は書を読み、文を学ぶは実業に関わらない士人の業となり、農工商の多数国民は実業を担当すれども、書を読まず、文を読まず、無知文盲となってしまった(論語講義)。論語と算盤を分離しようとした江戸以来の儒学者の解釈は完全に論語を読み間違えている。とかく空理空論なる仁義というものは、国の元気を阻喪し、物の生産力を薄くし、遂にその国を滅亡させる、ゆえに仁義道徳も悪くすると、亡国なることを考えなければならない。誰もが自分の利益のために働くのであって、宗教家でもない限り、他人の利益のために働く者はいないのである。富貴を求める心を否定してしまっては「社会の殷富繁昌は望むべからず」なのである。
3.考えるべきこと
渋沢栄一は子ども達に「すぐれた人物になってくれとは頼まんが、是非とも善良な国民にはなってもらいたい。」とよく言ったそうである(3)。多くの人々と接触してきて、本音の願望だったのであろう。渋沢栄一の孫の穂積重遠は最高裁判事となったが、「道徳が法律よりも上位である」という思想をもっていた(4)。日本ラグビー日本代表監督大西鐵祐(東南アジアでの戦争体験あり、戦後、平和を願ってラグビー指導に従事)は「合法か非合法か。それを行動の規範にしてはならない。きれいか汚いか。こちらが上位なのだ。『ジャスト(ルール)よりフェア』」(5)と選手にいっている。ラグビーでルールを守っていても、安全でない場合があるからである。フェア精神で相手選手をけがさせないようしなければならない。この2つは似た性質を持ち、ルールや法律だけで判断されていることが世の中では、ほとんどであるが、考えるべきことである。
(1)「ドラッカー入門」上田惇生、井坂康志、ダイヤモンド社、2014年8月28日
(2)「渋沢栄一」(Ⅰ算盤篇、Ⅱ論語篇)鹿島茂、文藝春秋、2011年1月31日
(3)「渋沢栄一」渋沢秀雄著、公益財団法人渋沢栄一記念財団、昭和31年(1956年)10月1日
(4) 「論語と算盤」渋沢栄一、角川ソフィア文庫、平成20年(1990年)10月25日版
(5)「闘争の倫理(スポーツの本源を問う)」大西鐵之祐、鉄筆文庫、2015年9月30日の解説「ジャストよりフェア」藤島大(スポーツライター)
以 上
新型コロナの | 感染に思う |
2020年8月7日
IEEJプロフェッショナル
深川 裕正
1.コロナ禍の現状 -児玉東京大学先端科学研名誉教授の見解-
「武漢型」、「イタリア型・米国型」、そして今は「東京・埼玉型」。「クラスター化」でなく「エピセンター化」し、「1か月後には目も当てられないことに」。事実、東京圏から阪神圏、中京圏等へ拡大、8/6日現在、全国累計感染者数は4万人を超えている。
2.緊急事態宣言下 -テレワークが一気に進んだ-
4月7日の緊急事態宣言を受け、多くの企業がテレワークを開始したが、これは政府が10年以上前から「場所や時間にとらわれない柔軟な働き方で、仕事と生活の調和を可能にし、多様な就労機会を創出する」と推奨し、更にこの導入の際に情報通信機器の設置にかかる税を免除する制度まで設けたが、利用実績は数件のみだった。
緊急事態宣言解除後も継続的にこの制度を利用している企業は多い。その結果、
・在宅勤務の経験からの主な意見
a) 在宅勤務賛成の人(60~70%)
b) 従来勤務賛成の人(30~40%)
①出勤に時間をとられない
① 自宅にIT環境が整備されていない
②マイペースで仕事が出来、集中できる
②対面コミュニケーションが取れない
③役割分担が明確になった
③部下の勤務状況を把握しづらい
・摘出された主な課題
①システム設計にもよるが、パンデミック下では圧倒的にITリソースが不足するので、その十分な確保が必要。
②慣れてくると個人差が拡大し、良い点も悪い点も顕在化
③F2Fが重要に
④フィジカル・メンタル両面でのケアが必要となる
などの課題が摘出されている。中には、従業員の「幸福」を考え、「心の資本」を重要視し、産業医が執行役員に就任している企業すらあるという。
・時代は大きく変わろうとしている。否、変わらざるを得ない状況に追い込まれている。
3.注目される若い人の考え方:
・「巣ごもり」を余儀なくされる昨今、近来にない快挙があった。
①「スパコン世界NO.1富嶽の誕生」と②「高校生藤井聡太新棋聖の誕生」である。
若い人の活躍という点から特に後者に注目したい。「最年少タイトル獲得記録を30年ぶりに塗り替えた」ということより「人間の脳の方が現状AIよりも新規性の面で特に優れている」といえると私は考える。
・2000年代生まれの人(Z世代とも言われる)は、幼い頃からスマホやSNSを標準機器として使いこなし、ネットを通じて様々な人と繋がっているのが当然と認識し生活している。しかもこの生活環境は国際的にも受け入れられている。我々の世代こそ特別ではないか?
4.IEEJプロの今後を考える -ウイズコロナとしてITの活発な活用を-
コロナウイルスに対するワクチンの開発なども世界各国で精力的に行われているが、
解決までにはかなりの長期間を要するのではないかと危惧される。それまで我々の組織、IEEJプロは全く何もしないでいいのか? 実際、この半年間は全く何もできなかった。
IT技術を使ってもう少しやれるのではと考え、ここに以下を提案する。
・オンラインTV会議による幹事会を先ず開催して議論をスタート。
・規約の一部改訂(書面審議やメール審議による議決事項を総会規定に盛り込む)他
・ズーム形式による定例会の開催--地方の会員の手軽な参加は大きなプラス。
・その他として、見学会をどうするか?セキュリテイの問題は? 持続可能性も考慮し、会費の徴収問題は?
最後に、免疫力を大いにアップし、この難局を乗り越えよう!!
以 上