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ドラッカーの師、渋沢栄一

ドラッカーの師、渋沢栄一


2020
1013
伊藤二朗

1.     ドラッカー(1)

1909年オーストリア=ハンガリー帝国のウイーンに生まれ、1937年アメリカに渡った。ドラッカーの目にはナチスによるヨーロッパ支配とともにそれに続くヨーロッパの廃墟が見えた。その廃墟から立ち上がるための方法論を探して、明治維新を発見したのがドラッカーだった。明治維新後の日本は、自らを西洋化することなく、西洋を日本化した。物見の役を自認するドラッカーにとって、源氏物語、白隠禅師、明治維新、渋沢栄一が師だった。

マネジメントの本籍は経営にはない、文明社会にある。マネジメントには三つの役割がある。自らの組織に特有の役割を果たす。仕事を通じて働く人たちを生かす。社会へのインパクトを最小化する(企業の社会貢献とか社会への責任)。利益、収益、コストカット、リストラなど金にまつわることはいっていない。

知識社会とは本質的に多元社会である。企業に勤めながらも副業やNPOなど社会活動は時間を作って積極的にした方がいい。個の知識は企業の占有物ではない。高度な能力ほど、むしろ社外で生かした方が本業のためになる。企業が個人に提供できる経験などたかが知れている。企業が個人より健康に長生きする保証はない。人間の方が企業よりも長生きし、しっかり自立している方が、企業にとってはるかにありがたい。

2.     渋沢栄一(2)

1840年現在の深谷市に生まれ、1845年から数年、商人の父と従兄弟尾高惇忠から、四書、五経などを学ぶ。1863年、高崎城乗っ取り計画を中止し、1864年一橋慶喜に仕官する。1867年、パリ万博に徳川慶喜の弟、徳川昭武が派遣され、渋沢栄一も付随する会計と書記として派遣された。会計事務の運用(株や公債を売買)などで、経済の原理を知る。この知識をもとに、日本に近代的資本主義を根付かせた。

1868年大政奉還後に静岡にいる慶喜と再会。1869年静岡藩に日本最初の商法会所(株式会社)を設立した。186912月大蔵省への辞令を受ける。大蔵省での仕事は貨幣制度、租税の改正、公債の方法、合本法(少額を多くの人から集める資本)の制定などである。

1873年に渋沢が大蔵省を辞めて、500余りの株式会社(インフラにかかわる企業、外国製品に替わる国産製品を生み出すための企業、製品等が円滑に流通するためのサービス企業)の設立にかかわり、日本資本主義の産婆役となった。

渋沢に課せられた最大の使命は商工業に携わる実業人が官吏と平等に扱われる社会を生み出すことだと考えていた。そのため、私が利潤追求をすることを卑しいものとした江戸時代の風潮を払拭しなければならない。公正な利潤の追求は、いささかでもこれを責めるべきではない。従って、私が公正に儲けることのできるような資本主義システムを社会のすべての階層において構築しなければならない。これが、渋沢のおのれの義務と考えたことであり、実際に成し遂げたことである。

東京商工会議所、日本工業倶楽部など社交のための組織づくりに情熱を注いだ人も珍しい。1874年~1931年まで、さまざまな社会福祉事業にも関わっていた。1902年欧米視察、1909年、1915年、1921年、民間外交で訪米している。

著書「論語と算盤」は義利合一(富みながら仁義を行う)という、渋沢が一生の信条とした思想が語られている。利潤追求する企業人においても道徳(義)と経済(利)は矛盾しないどころか、むしろ両者のバランス感覚こそが孔子が論語で説く儒教思想の核心であると繰り返し力説している。論語と算盤という理念は、儒教で育った明治人に共通するものでは決してない。むしろ、渋沢以外の人間には思いつかなかった特殊な経済思想なのかもしれない。

徳川300年の教育は書を読み、文を学ぶは実業に関わらない士人の業となり、農工商の多数国民は実業を担当すれども、書を読まず、文を読まず、無知文盲となってしまった(論語講義)。論語と算盤を分離しようとした江戸以来の儒学者の解釈は完全に論語を読み間違えている。とかく空理空論なる仁義というものは、国の元気を阻喪し、物の生産力を薄くし、遂にその国を滅亡させる、ゆえに仁義道徳も悪くすると、亡国なることを考えなければならない。誰もが自分の利益のために働くのであって、宗教家でもない限り、他人の利益のために働く者はいないのである。富貴を求める心を否定してしまっては「社会の殷富繁昌は望むべからず」なのである。

3.考えるべきこと

渋沢栄一は子ども達に「すぐれた人物になってくれとは頼まんが、是非とも善良な国民にはなってもらいたい。」とよく言ったそうである(3)。多くの人々と接触してきて、本音の願望だったのであろう。渋沢栄一の孫の穂積重遠は最高裁判事となったが、「道徳が法律よりも上位である」という思想をもっていた(4)。日本ラグビー日本代表監督大西鐵祐(東南アジアでの戦争体験あり、戦後、平和を願ってラグビー指導に従事)は「合法か非合法か。それを行動の規範にしてはならない。きれいか汚いか。こちらが上位なのだ。『ジャスト(ルール)よりフェア』」(5)と選手にいっている。ラグビーでルールを守っていても、安全でない場合があるからである。フェア精神で相手選手をけがさせないようしなければならない。この2つは似た性質を持ち、ルールや法律だけで判断されていることが世の中では、ほとんどであるが、考えるべきことである。

(1)「ドラッカー入門」上田惇生、井坂康志、ダイヤモンド社、2014828

(2)「渋沢栄一」(Ⅰ算盤篇、Ⅱ論語篇)鹿島茂、文藝春秋、2011131

(3)「渋沢栄一」渋沢秀雄著、公益財団法人渋沢栄一記念財団、昭和31年(1956年)101

(4) 「論語と算盤」渋沢栄一、角川ソフィア文庫、平成20年(1990年)1025日版

(5)「闘争の倫理(スポーツの本源を問う)」大西鐵之祐、鉄筆文庫、2015930日の解説「ジャストよりフェア」藤島大(スポーツライター)

以 上