九州と電気学会および電気電子教材の工夫
2019年2月26日
IEEJプロフェッショナル 山内経則
1、九州と電気学会
1)古来より九州は、大陸に近い立地により、外来文化の玄関口である。
それ故に「進取気質と国防の意識」が醸成された。幕末では長崎を中心と
して、蘭学に熱心な大名(島津、鍋島、黒田、奥平:何れも島津の血縁
者)により科学技術の素地が作られている。
2)電気学会は会長の榎本武揚と発起人の志田林三郎らの尽力で明治20年に
発足した。
榎本は、函館戦争で敵対した黒田清隆による西郷隆盛への助命嘆願で特赦
となり政府高官となった。榎本と同時に大鳥圭介も特赦となり後に工部大
学校初代校長となった。
志田林三郎は旧鍋島藩(現佐賀県)の出身で創設直後の工部大学校で電気
を学んだ。
榎本と大鳥を助命した薩摩の黒田と西郷の背景に島津忠良の「薩摩の教え
:科ありて人を斬るとも軽くすな活かす刀もただ一つなり、つまり斬首で
なくその能力を活かすことが武士道である」との教えがあった。
3)明治の中期から大正にかけて九州人による私立大学(早大:大隈、慶応
:福沢など)と電気関係企業(東芝:田中、NEC:岩垂、安川電機:
第五郎など)が創設された。
これらの九州人は外来文化を積極的に受け入れる好奇心旺盛な風土で育ち
蘭学の延長ともいえる電気に関心を寄せたとも推察できよう。
4)大量の電力を必要とする産業により発電所が作られた。島津家大田発電
所(串木野金山)、曽木発電所(水俣チッソ)上椎葉ダム(八幡製鉄所)
などである。
5)富士電機と西郷隆盛の関係:西郷隆盛の弟従道の孫従純が古河家の養子
となり古河家4代目となった。足尾銅山からの事業拡大で古河電工、富士
電機、富士通が生まれた。
2、電気電子教材の工夫
1)アインシュタインの光電効果について光の色と波長(エネルギー)の
関係を太陽電池とLEDによる指導事例を紹介した。
2)アインシュタインは、光はエネルギーを持った粒子と考え、当たると電
子を弾き出し、飛び出した電子と電子の抜け穴であるホールができる。こ
の現象を「ゴルフボールが詰まった箱」を用いて容易に理解できる教材で
あることを示した。
3)遷移エネルギーと色の関係を各色のLEDの順方向電圧で直視する事例
を紹介した。
3、参考資料
1)電気学会100年史、昭和63年(1988)
2)三州倶楽部百年史、公益社団法人三州倶楽部、平成30年(2018)
3)電子工学関連の教材に関する研究、永松、山内、西日本工業大学研究紀要、平成23年(2012)