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2017年定例会講演概要

リビングラボを活用した生活機能レジリエント社会の構築

~データ・社会課題・知性分散社会のイノベーション~

 

西田佳史(産業技術総合研究所)

                       2017年1月24日講演

生活者の心身や認知機能の変化に対して、安全性を確保してくれたり、高度な社会参加を回復してくれる「生活機能レジリエント社会」が求められている。最近発展している人工知能技術が、これらの問題解決に新たなアプローチを提供できる可能性を持っている。本講演では、我々の日常生活を取り巻く課題解決に、人工知能技術やそれを支えるビッグデータ技術やセンシング技術(IoT技術)がどのように役立つかの事例を紹介する。また、産業技術総合研究所で進めているスマート・リビング・ラボ(Linked Living Lab)の構想を紹介する。ここでのリビングラボとは、生活の場をセンサ化し、データに基づいた生活科学を可能とする観察装置としての意義と、実際に技術を使う現場の人と人工知能技術を共創する実践の場としての意義を兼ね備えたものである。このリビングラボを用いた事例を四つ紹介し、今後の展望を述べてみたい。

 一つ目の事例は、リビングラボを用いた子どもの行動科学とその活用事例(子どもの安全性に配慮された歯ブラシの開発事例)である。歯ブラシ、箸、ストローなど、棒状のものを咥えた状態で転倒することによる口腔・咽頭部の刺傷事故が発生している。これまで注意喚起はなされていたが、各事象の傷害発生メカニズムの物理的理解、それに基づく製品の改善は行われていない。子どもが生活している空間にカメラを取り付け、行動観察するリビングラボを用いて、転倒時の挙動を詳しく分析すると、転倒時に発生する頭部の速度の最大値のうち頻度が高い速度が1.5[m/s]であることが分かった。このデータと有限要素解析技術を用いることで、転倒時には、過度な力が口腔・咽頭部にかからないように曲がってくれる歯ブラシの開発に結び付いた。インダストリー4.0(または、第4次産業革命)の議論では、どう効率的にモノづくりをするかというHowの議論が中心であるが、何をつくるべきか?というWHATに相当する生活科学と組み合わせることが重要となろう。

 二つ目の事例は、介護施設型リビングラボの事例である。高齢者の靴に埋め込み型のビーコンを用いて高齢者の位置を計測し、行動把握をするためのシステムの検証を行っている。最近、このシステムを用いることで見つかった事例を一つ紹介したい。ある高齢者の活動がある日を境に急激に変化していることが分かってきた。良く調べてみると、転倒事故を起こされ、骨折に起きていたことが分かった。長期的に高齢者の行動のトレンドを分析することで異変が見つかった事例であるが、人がOne to Oneで見守ることは労力的にもコスト的にも無理であるので、こういう課題にこそIoTや人工知能を活用し、人と機械のハイブリッドシステムで見守っていく方向が重要であろう。

 三つ目の事例は、コミュニティと進めるリビングラボの事例である。高齢者の社会参加支援は介護予防や認知症予防の観点からも大きな課題であるが、そのための技術や利用可能なサービスはまだない。そこで、産総研では、生活データを、「社会参加」、「体験」、「感情」、「社会参加に関係した人・モノ・活動」といった要素からなるグラフ構造として記述する方法を開発している。これを用いることで、自分と類似した生活状況(生活構造)を持つ人が利用しているサービスのうち、生活改善に役立ったサービスを探してくれる機能を開発した。機械工学は要求機能を機構に変換する行為であるが、生活デザインの工学とでも呼べる方法論の開発も重要となろう。

 最後の事例は、一般住宅型のリビングラボである。どこにでもある手すりに力センサを埋め込み、手すりのどこを把持したかをモニタリングする手すりIoTを開発した。これを一般住宅に取り付け、1年以上モニタリングしている。そうすると、その人の歩行速度の計測を何千回も行うことができ、より実態にあった計測が可能となる。また、歩行速度が日々どう変化しているかを知ることもできる。88歳の被験者の場合、歩行速度が低下し、寝たきりに至るリスクが高いことが見つかり、その後、食事療法や運動療法で改善させることができた。上述した介護施設型のリビングラボと同様に、パーソナルなモニタリングの事例である。この場合は、さらに一歩すすめ、パーソナルな介入とその効果評価の可能性を示した事例であり、今後、プリシジョン・ヘルスケア(パーソナルな健康状態の把握とパーソナルな生活改善)の方向に、センサや人工知能技術を活用していくことが重要であろう。

上述した四つの事例は、生活機能変化のせいで多様性に満ちた生活問題・それを捉えるデータ・ソリューションを生み出す知性が遍在する社会の到来を告げているように思える。センシング技術や記録技術の発展とその社会への浸透、様々な機関で蓄積されているビッグデータの存在がある。また、人工知能などのデータ分析技術といった人間以外の知性も発展してきている。人側も高い知性を持った人材が、例えば、大学や行政機関などの狭い分野に集まっているわけではなく、様々なセクション、機関、地域、企業などに高度に分散された知性遍在社会を形成している。最近では、リビングラボを用いて、研究室での有効性(efficacy)だけではなく、現場での実効性(effectiveness)の検証を行うような活動も広がってきている。一方で、生活機能変化に伴う様々な社会問題が新たな問題として常態化している。こうしたニューノーマル化した問題に対して、現代社会のもう一つの特性であるデータ・知性の遍在性を活用することで、それに対応した進化した社会へと変換する作業が、今日必要とされているイノベーションの姿であろう。

 

参考文献:西田佳史, “問題・データ・知性の遍在を活用する生活機能レジリエント社会─ニューノーマル呼応型イノベーション─,人工知能, Vol. 31, No. 3, pp.402-410, 2016