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定例会講演概要

新幹線の誕生とリノベーション
~電力供給システムを中心として~

              関  秋 生

                                                                                     (2015年2月24日講演)


  昨年10月新幹線は開業50周年を迎えた。その歴史を振り返ると、前半の国鉄時代は高速鉄道のパイオニアとして“苦難と栄光の歴史”であった。特に、架線事故はひとたび事故が起きると復旧に長時間を要し、しばしば社会問題となった。本講演ではき電回路と架線からなる電力供給システムを中心としてその開発からリノベーションまでの経緯を述べる。

 新幹線建設基準調査委員会は、き電回路に在来の交流電化で実績のあるBT(ブースタートランス)方式を採用することに決めた。また架線については、トロリー線とパンタグラフの間で離線が起きないことをめざして新たに開発した合成コンパウンド方式を採用することに決した。BT方式の採用を決めたすぐ後に、在来線においてBTを設置するために設けたブースターセクション(BS)で大負荷電流が流れた際、吊架線の素線切れが発生し、大電流負荷の新幹線においてもBSにおけるアーク抑制対策の研究が始まった。昭和38年10月鴨宮モデル線で新幹線の試験車両を使って試験したところ、従来のBSではアークの熱によりパンタグラフのすり板が東京~新大阪間1往復も持たないことが判明、根本対策が必要となった。そこで急遽考案されたのが抵抗セクション方式で、その実現のため架線として“ひねりセクション”が考案され、全線一斉に改良工事に取り組み、何とか開業に間に合わせることができた。

 昭和39年10月の新幹線開業後、12両6パンタグラフ搭載の営業列車が走りだすと架線が予想を超えて激しく振動し、架線金具のボルトのゆるみ、脱落、線条類の摩耗、疲労による断線故障が頻発した。また強風下では架線金具にパンタグラフが衝撃し、損傷する事象も多発した。これに対し電力関係職員は一斉点検、設備改良を繰り返した結果、開業後3年を経過するころから運行は安定し、昭和45年の万博輸送を無事こなした。しかし昭和47年頃から電気のみならず保線、車両においても事故が多発するようになり、とりわけ架線事故は影響の大きさから目立った。昭和49年8月、事故が連続したため運輸大臣から国鉄に対し警告が発せられ、10月に「安全確保に関する対策」が国鉄から報告された。その中で、架線関係について強風区間と駅構内を対象に重架線化工事をする旨報告された。

 重架線方式は、東海道新幹線の経験を踏まえて山陽新幹線向けに開発した架線方式で、架線の張力を上げ、パンタグラフ通過時の架線の押上量を抑えた。同時に、東海道新幹線で構造が複雑で保守上問題となったBTき電方式に代わってBSの不要なAT(オートトランス)方式を開発した。これ等の方式は、山陽新幹線新大阪~岡山間に導入され、非常に安定して稼働した。その実績を踏まえ東海道新幹線にも重架線を導入することにした。その後、昭和53年には新幹線輸送障害対策委員会が開かれ、その結果、全線にわたって重架線化を推進することが決定された。しかしその後もBSでの架線事故は続き、社会問題化したのち、昭和59年7月ようやくAT化の設備投資が承認された。

 一方、新幹線のパンタグラフの数を減らすべく昭和56年に山陽新架線で、昭和59年には東北新幹線でその試験を行い、架線事故防止のみならず騒音、電波障害防止にも大変効果があることが分かった。東北新架線上野開業からパンタグラフの数を半減化して240km/h運転を開始した。

 また、新幹線では、定常的にアークが発生させながら集電をしていたが、昭和63年にJR東、東海、西でSpark Suppressionプロジェクトを設け、その原因を調べたところ、パンタグラフのすり板幅に問題があることを突き止め、東海道、山陽新幹線のパンタグラフすべてのすり板幅を25mmから40mmに取り替えたところ半年後にはアークはほぼ消えた。

 JR東海は会社発足後まもなくの1988年1月新幹線スピードアップ・プロジェクトを立ち上げ、東京~大阪間を最高速度270km/h、二時間半で結ぶことを決めた。その実現の大前提として安定した電力供給システムの確立と、環境基準のクリアが必要であった。安定した電力供給システムの確立はHC化の完成(1989年2月)とAT化の完成(1991年3月)により達成され、同時にパンタグラフ数の半減化とすり板の40mm化により環境基準のクリアも可能となった。これで新幹線の電力供給システムのリノベーションは完成し、1992年3月から700系“のぞみ”の270km/hの営業運転が始まり、その後700系、N700系等の飛躍的な発展を支えた。

関  秋 生      
せき あきお(正員)  
元JR東海総合技術本部長
元新生テクノス㈱会長  
現在関技術士事務所